大阪の「天神祭」は東京・神田祭、京都・祇園祭とともに
日本三大祭りの一つと言われ、毎年130万人もの人が訪れる夏の都市大祭です。
今回は、大阪天神祭の歴史や、見所などをご紹介します。
天神祭りの歴史
天満宮御鎮座の翌々年、天暦5年(951)に社頭の浜から神鉾を流し、
流れついた浜に斎場を設け「みそぎ」を行ないました。
その折、神領民や、崇敬者が、船を仕立て奉迎したのが、天神祭の始まりとされ、
一千年の歴史を誇っています。
それ以来、船の数も増え、豊臣秀吉が、大坂城を築いた頃には
船渡御(ふなとぎょ)の形が整ってきました。
堂島川への土砂流入で、船渡御が中止になったこともありますが、
天下の台所と呼ばれた、元禄時代(17世紀後半)以降、
天神祭は、浪速のシンボルとして、隆盛をきわめ、
享保年間(18世紀前半)には「講」という祭りを支える組織が誕生し、
新たに、お迎え人形も登場、祭りの豪華さは全国的です。
幕末の政変や、二度の戦争で中断があったものの、昭和24年に船渡御が復活。
また、地盤沈下の影響で、大川を遡航するという、現在の形になったのは
昭和28年からです。
天神祭には幾多の変遷があり、その存続が危ぶまれた時期もありました。
しかしその度に困難を打開し、伝統を守り、
盛り上げていったのは浪速っ子の心意気です。
天神祭は今も、人々の熱いエネルギーに支えられ、発展しています。
天神祭のエピソード
天神祭は、千年を越える伝統と、歴史を誇る祭りだけあって、
数多くのエピソードが、残っています。
元禄時代には、討ち入りを控えた、大石内蔵助の妻、お理玖さんと
末息子が見物に訪れていた、という逸話が近年の研究で明らかになりました。
また、大阪にゆかりの深い、西山宗因や井原西鶴、
近松門左衛門といった、文化人もお忍びで観覧し、
祭りを肴に、文学論で熱くなっていたそうです。
幕末には、14代将軍徳川家茂のため、盛大な天神祭を開催するよう
新撰組から、天満宮へ命令の下ったことがありましたが、
政情不安の続くこの時期に、神様にお出ましを願うわけにはいかないと
断固拒否し、祭りを中止したという記録もあります。
その他、時代の流れや、新しいものを上手に取り込むのも、天神祭の魅力です。
鉾流神事
笛の音とともに、堂島川に漕ぎ出す斎船
・7:45/宵宮祭 (よいみやさい)
天神祭のスタート
天神祭の始まる24日の朝、7時45分より本殿にて宵宮祭を斎行。
8時半すぎ、白木の神鉾を手にした神童や供奉人、
約2百人の行列が、天満宮の表門を出発し、旧若松町浜の斎場へと向かいます。
・8:50/鉾流神事 (ほこながししんじ)
祭りの開幕を告げる、厳かな神事
8時50分ごろ、夏越祓いの神事の後、斎船で堂島川の中ほどに漕ぎ出し、
龍笛の調べの流れる中、船上から神童の手によって神鉾が流され、
天神祭の無事と安全が祈願されます。
今年、この鉾流神事の大役を務めるのは、西天満小学校の生徒。
天神祭の幕を切って落とす、厳かな神事の中心的役割を果たします。
大阪天神祭の見所
大阪天神祭は、なんといっても25日の船渡御(ふなとぎょ)と奉納花火が見所です。
・船渡御(ふなとぎょ)
25日の17時30分ごろに始まります。
神様に市民の暮らしぶりをご覧いただき、御加護を祈願する神事です
船で大川を行き交いながら、華やかな水上パレードを繰り広げます。
船がすれ違う時には「大阪締め」が交わされ、だんじり囃子が響き渡ります。
・奉納花火
夏祭りといえば、やっぱり花火。
船渡御が始まって少しした頃、あたりが暗くなると、奉納花火が打ち上げられます。
7月25日の19時ごろから、約2時間に渡って約5000発(予定)の花火が打ち上げられます。
この「奉納花火」で、大阪天神祭もクライマックスを迎えます。
他とは一味違う、大阪天神祭の奉納花火です。
最近注目を集めている「ギャルみこし」は
7月23日12:00頃に出発し、天神橋筋商店街を巡行します。
今年はどんな方たちが、オーデションに参加するんでしょうね!